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節約・倹約の本質を心得よ(1)【父の教え】

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【父の教え】は、2015年5月に逝った、父の遺言に書いてある内容です。
私が自分自身を諌めるために、ここに投稿しています。
何かの参考になったら、幸いです。

奢侈(しゃし)・吝嗇(りんしょく)・節約

昔から金銭や物の誤った使い方として「奢侈(ぜいたく)」と「吝嗇(けち)」が悪徳であると言われている。
そして、その中庸にある「節約(もしくは倹約)」こそが、中庸のだとされている。

節約の本意とは
「節」とは「ほどあい、ころあい、品格」などを意味し
「約」とは「束ねる、縛る」という意味だ。

つまり節約とは、ほどよい基準を定め緊縮することであり、この「ほどのよさ」が中庸である。

この「奢侈・吝嗇・節約(倹約)」の関係をわかりやすく書かれた本としては、伊勢貞丈(いせ ただたけ)の「貞丈雑記(または家訓)」を、読んでみたら良いだろう。ここにはその一節を書いておく。

倹約を誤解して、父母や妻子(家族)、または家来(部下)にまで、ひもじい思いをさせ、義理を欠き、礼儀作法もかまわずに出費を避け、むやみに金銭を惜しむ人がある。これは倹約でなく吝嗇(けち)というもので、はなはだ卑しいことである。

またこれに対し、塵や芥を払い捨てるように金銭をむやみに使い捨て、そのことを誇る人もいる。これは奢侈(ぜいたく)というもので、両方とも争いの素である。

金銭を惜しんで使わないのも悪いが、みだりに遣い捨てるのも悪い。その中間をとって、要不要を考えながら引き締めたり緩めたり、ほどよくすることを倹約(節約)という

このように、長い間、節約は何の疑いもなく美徳とされて来た。

ところが、お前が生まれる少し前頃から(僕は1972年生まれ)、大量生産・大量消費という高度成長の時代が来て「消費こそ美徳」などと移りかわり、それまで悪徳だった贅沢が美徳のようにさえ言われた。

しかし、本当に質素倹約が時代遅れなのだろうか?・・・・

(次回に続く)

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